泣きながら打ち明けた席で、居合わせた経営者たちは声をあげて笑いました。その意味が分かるまで、8年。
2026年8月17日、第1124回の経営者モーニングセミナーにお迎えしたのは、霞が関倫理法人会 運営委員の五十嵐智子氏です。テーマは「もとに繋がる」。自ら望んだわけではない2度の事業承継の先に、いったい何が見えたのでしょうか。

40人の職場を、ある日突然に
五十嵐氏は文京区本駒込の仕出し料理屋に生まれ、跡取りとして大切にされる弟の姿を見ながら育ちました。継ぐことの重さは、子どもの頃から肌で知っていたのです。短大を出た1995年は、就職の超氷河期と呼ばれた年でした。憧れていた航空会社が一斉に採用を取りやめ、目標がふっと消えます。行き場を失っていたとき、友人の母親に背中を押されて看護師を志しました。資格を取り、2001年からは順天堂大学附属順天堂医院に勤務。夫と出会ったのも、この病院です。
転機は2014年です。夫の父がゴルフに出かけた先で事故に遭い、突然この世を去りました。夫は長男でした。医療法人五十嵐小児科を継ぐのは当然の流れです。それを支えるのが自分の役目だと、五十嵐智子氏も迷わず現場に入りました。ただ、準備というものが何ひとつありません。
引き継いだのは、従業員約40名の職場でした。一般外来に加え、専門外来から小児歯科、院内薬局、病児保育まで備えた施設です。10年以上のブランクを抱えたまま、元看護師なら働けるだろうという一言で現場に立ちます。子どもは7歳、5歳、3歳。朝5時に起きても一日は回りません。7時に幼稚園へ送り、夜6時に病院を出て迎えに行き、8時から夕飯をつくる。ママ友は100人ほどいたのに、経営をしている人は1人もいませんでした。
全部、自分がなんとかしなくてはいけない。誰に言われたわけでもないのに、そう思い込んで走ります。学べば学ぶほど視野は狭くなり、先代が大切にしてきたものまで次々に片づけました。うまくいかない原因を、いつも自分の外側に探していたのです。スタッフが動かないから、事務長が分かってくれないから、夫が協力してくれないから。
もし同じ立場に置かれたら、孤独を抱え込まずにいられたでしょうか。

「来た来た!」に、笑えなかった日
そんな頃、仙台で開かれた経営者の集まりに足を運びました。全職員が突然辞めてしまったという社長の体験談に惹かれたからです。その場で、五十嵐氏は泣きながら胸の内を打ち明けます。眠れないこと、次々に問題が起きること。
すると、居合わせた8人ほどの経営者が、いっせいに声をあげて笑ったのです。トラブルが起きたときこそ「来た来た!」と思うのだそうです。
信じられませんでした。こんなに苦しいのに、なぜ笑えるのでしょうか。そのうちの1人は、倫理においで、きっと役に立つからと誘ってくれました。これが倫理法人会との最初の出会いでしたが、そのときは縁がつながりません。入会するのは、8年後のことです。
同じ言葉でも、受け取れる時期が来るまでには時間がかかるのかもしれません。
何もないと思っていたのに、全部を持っていました
流れが変わったきっかけは、コーチングでした。よそでは話せない苦しさも、コーチの前でだけは言葉にできます。本当はどうしたいのかと何度も問われるうちに、封じ込めていた本音が出てきました。地域に愛されてきたこの小児科を、もっと長く続けていきたい。
肩の荷が下りると、景色が変わりました。辞めずに残ってくれるスタッフがいる。20年そばで働き、助言をくれる人がいる。宮城県医師会の先生方や税理士も、力を貸してくれていました。何もないと思い込んでいた手のなかに、実はすべてがあったのです。
「人に頼っていいんだ」
そう気づけたことが、この時期のいちばんの収穫だったといいます。
やがて夫が閉院を口にします。商売屋の家に育った五十嵐氏には事業は続けてこそという思いがあり、すぐには飲み込めませんでした。それでも、夫の人生を応援することにこそ夫婦の価値があるのではないか。そう考え直して2020年に閉院を決め、直後にコロナ禍が訪れます。いま生き生きと働く夫を見て、あのとき応援を選べた自分を誇らしく思うと振り返りました。閉院は失敗ではなく、新しい旅立ちでした。

50人の前で、すべてを譲ると告げられた日
2025年3月、2度目の事業承継の話が舞い込みます。約8年にわたって勉強会チームのリーダーを務めてきた協会からの打診でした。好きな場だからこそ引き継ぎたい。けれど、本当に任せてもらえるのか。期待と疑いが同時にありました。
役割は増えるのに、こちらからの提案は通りません。半年ほど、そんな時間が続きます。一人で抱えかけたとき、副リーダーの米田氏が言いました。
「一緒にやるよ」
二人が決めたのは、早く決着させることではなく、話し合いを続けることでした。事務所を借り、法人の手続きを進め、口座を開く。実務は動くのに、承継の返事だけが見えません。押印前のことは、身近な人にさえ話せませんでした。それでも、相手にこうしてほしいと求めるのをやめ、自分たちに何ができるかを話し合い続けます。
そして11月、協会10周年の記念イベント。約50名のトレーナーが集まった会場で、代表が壇上から告げました。活用推進協会という名称を、実践協会に改めること。すべてを二人に譲り、自らは一トレーナーに戻ること。
前方の席で聞きながら、涙が止まりませんでした。これほど思ってくれていたのに、自分は何も受け取れていなかった。手元ばかりを見て、足りないものを数えていたのです。20年の小児科と、10年の協会。そこには先代が築いた実績も、人とのつながりも、そのまま託されていました。
当たり前だと思っていたものが、実は一番の贈り物かもしれません。
まとめ──受け取ったものに感謝して、次へ渡す
協会の引き継ぎと重なる2025年7月、五十嵐氏は霞が関倫理法人会に入会します。毎週のモーニングセミナーで耳にする言葉と、自分の身に起きたことを、一つずつ答え合わせしてきたといいます。本を忘れず、末を乱さず。守り、育て直し、次へ渡す。受け継ぐとは保存ではなく、時代に合わせて形を変えながら継承を完成させることでした。
命も、仕事も、知恵も、人とのつながりも、自分が生み出したものは何ひとつありません。有限会社IMリサーチセンター代表として経営者に伴走し、一般社団法人コミュニケーションカード実践協会の理事として全国約200名のトレーナーとともに歩む五十嵐智子氏の話は、私たちは誰もが受け継いで生きているという一点に着地しました。
苦難など来ないほうがいい。いまでもそう言って笑いながら、来たときには受けて立てると語ります。仲間がいるからです。かつては笑えなかったあの一言も、いまは自分の役割に気づくための合図として受け取れるようになりました。苦難福門。
湯島倫理法人会では、毎週月曜の朝7時から、文京区湯島の全国家電会館でモーニングセミナーを開いています。会員以外の方のゲスト参加も歓迎しています。学び合う仲間とともに、週の初めの一歩を踏み出してみませんか。
講師プロフィール
五十嵐 智子(いがらし ともこ)
有限会社IMリサーチセンター 代表
一般社団法人コミュニケーションカード実践協会 理事
霞が関倫理法人会 運営委員
1995年、東洋英和女学院短期大学英文科を卒業後、医療法人に就職。その後、看護師免許を取得し、順天堂大学附属順天堂医院に勤務。2014年、五十嵐メディカルリサーチセンター取締役に就任し、医療法人五十嵐小児科を事業承継する。2020年の閉院を経て、2021年よりプロコーチとして活動を開始。正看護師、国際コーチング連盟認定プロフェッショナルコーチ(PCC)。経営者の課題や人の悩みに伴走するほか、コミュニケーションカードを用いて子どもの自己肯定感と強みを引き出す活動にも取り組む。2025年7月、霞が関倫理法人会に入会。2026年4月、全国約200名のトレーナーを擁するコミュニケーションカード実践協会の理事に就任した。
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