インタビューの席に、松本さんは一袋のお米をそっと置きました。自然農法で育てられた、屋号と同じ名の「ことほのわ」。新しく始めたこの仕事を、売り込むでもなく、ただ静かに差し出す──その所作に、長く人と向き合ってきた年月がにじみます。

穏やかに笑いながら、こう振り返ります。「応援のために入って、ある程度たったら辞めようと思っていたんです」──。

そう語るのは、湯島倫理法人会の第10代会長を務めた松本富美子さん。軽い”お付き合い”のつもりで踏み入れたその場所は、気づけば十一年目を迎えていました。長くネットワークビジネスに携わり、人を育てることを生業にしてきた松本さんが、湯島で何を受け取り、どう変わっていったのか。その足どりを、ゆっくりと辿ります。

穏やかに語る松本富美子さん(湯島倫理法人会 第10代会長・相談役)
穏やかに語る松本富美子さん(湯島倫理法人会 第10代会長・相談役)

一票を入れるつもりで、入りました

湯島との出会いは、五十嵐相談役からの一言でした。「こういうのは、そろそろ勉強してみたらどうですか」。毎週のように誘われても、朝が起きられず、断り続けていたといいます。

実はそれ以前にも、別の会でモーニングセミナーに足を運んだことがありました。けれど、そのときは違和感しかなかったと明かします。整然とした朝礼の様子が、まるで軍隊のようにも見えたそうです。

長年、決まった文言をその通りに読むことが大の苦手で、自分で決めて自分をマネジメントする働き方をしてきた松本さんにとって、それは遠い世界の光景でした。

それでも、五十嵐さんが会長として奮闘する姿を見て、応援したい気持ちが芽生えます。「一票を入れるぐらいのつもりでした」。だからこそ、ある程度たったら辞めるつもりだったと、隠さずに語ります。

偉い人ほど、自ら動いていた

風向きが変わったのは、東京都のナイトセミナーに参加したときのことでした。会場に着くと、新規で訪れた松本さんのところへ、次々と人が挨拶に来ます。

後で分かったことですが、その中には東京都の会長や、要職を担う人たちがいました。立場が上の人ほど自ら動き、「今日はよく来てくれました」「どちらから来たんですか」と、にこやかに声をかけてくれる。

少し驚いたように振り返ります。「私のイメージだと、組織で偉い立場の人は後ろのほうに座っていて、下で頑張っている人が動くものだと思っていたんです」。そのイメージの真逆さに、胸を打たれたといいます。

登壇前、壇上できちんと一礼するその姿も、松本さんの目には新鮮に映りました。いい加減に関わっていた自分が、少し恥ずかしくなったそうです。その気持ちをきっかけに、毎週きちんと朝起きて通おうと、松本さんは心を決めました。

素直って、流れの中の自分を知ること

倫理を学ぶうちに、松本さんは自分の中の「当たり前」が、少しずつほどけていくのを感じます。中でも大きかったのが、「素直」という言葉の捉え方でした。

自分はわがままではないし、素直なほうだと思っていた──。そう語ってから、少し考えて言葉を継ぎます。「わがままって、我の思うまま、ということなんですよね」。

倫理が教えてくれたのは、大自然があり、先祖の流れがあり、その大きな流れの中に今の自分がいる、という感覚でした。「素直というのは、人の言う通りにすることではなくて、そういう流れの中にいる自分を自覚した上で、あるがままに生きること」。その捉え方を得てから、松本さんの日々は静かに変わっていきます。

心配してくれるのは、愛されているから

一番変わったのは、夫との関係でした。以前は、夫の言葉にいちいちむかついていたそうです。自分が我慢して、夫が勝手に怒っている──長くそう思い込んでいました。

ところが最近、ある人に夫から注意される話をしたとき、思いがけない言葉が返ってきます。「それは愛されていますね」。心配だから気になる、気になるから言う。愛していなければ、心配すらしない、と。

少し照れたように笑いながら振り返ります。「以前の私なら、いやいや、うちの夫はこうなんですって、一生懸命反論していたと思うんです。でも今は、あ、そういう見方もできるかもしれない、と思える自分がいる」。

見方が変われば、相手の見え方も変わります。家の中が少しずつ穏やかになり、喧嘩にならなくなってきた。「まだ百パーセントではないけれど」と正直に付け加えるところに、飾らない人柄が滲みます。

小学校一年生のことで、人は変わる

こうした変化は、特別な修行から生まれたものではありません。松本さんが驚いたのは、朝起きること、挨拶をすること、靴を揃えること──小学校一年生でも教わるようなことで、人が変わっていくという倫理の考え方でした。

数え切れないほどの勉強会に出て、知識は十分に持っていたつもりです。けれど、やる気が出る勉強会は「カンフル剤」のようなもので、打ち続けても続かない人がいる。やりたいのにやれない人を、どうすればいいのか。長年抱えてきた問いでした。

だからこそ、身近な習慣で人が変わるという話に、思いがけない角度から光が差します。「本当かな、と最初は思いました。でも、もし本当なら、私の周りにも変わる可能性のある人がいっぱいいる」。松本さんは、より深く倫理を学び始めました。

その「人を見る」感覚は、いまの仕事にも静かに表れています。先日再会した知人は、売り込んだわけでもないのに、松本さんの扱うお米を買い、ネットワークにも登録してくれました。「このぐらいの年齢になると、みんな人間性を見るんですよね。仕事も、人を見て組む」。誰かに認められるたびに、自分でも気づかぬうちに変わってきた何かを、松本さんはかみしめているようでした。

自然農法のお米「ことほのわ」を手に。売り込むのではなく、人を見て仕事をする
自然農法のお米「ことほのわ」を手に。売り込むのではなく、人を見て仕事をする

世間の皆さんのお金で、ここまで育った

倫理に集う人たちと関わる中で、松本さんは仕事に対する「まなざしの質」が違うことに気づいていきます。ネットワークの世界で出会ってきた人の多くは、自由を手に入れたいと願っていました。一方、倫理法人会で出会う経営者は、社員や取引先の信用まで背負って立っていたのです。

その違いを象徴する話として、松本さんが今も忘れられないのが、郡山にある青木フルーツの社長の講話です。親から受け継いだ会社が大きくなり、経営に長けた社長を招いたものの、考え方が合わず、体調まで崩してしまう。何も打ち明けていないのに、妻から「あなた、会社を辞めたら」と言われたそうです。

そうして一番小さな会社だけを手元に残し、あとはすべて譲って、フルーツの生ジュースを売る新しい事業を一から始めました。今ではパートを含め二千人規模にまで育っているといいます。

松本さんが心を動かされたのは、その社長が新入社員を迎えるときの問答でした。「もしこの会社に入ったら、給料は誰からもらうんですか」。若者たちの答えに問いを重ねていくと、たどり着く先は、お客様からいただく一つひとつの売り上げでした。

話は、若者たち自身の生い立ちにまで及びます。学校に通えるのも、親の給料があるから。その給料は、世間からいただいたもの。「つまり、皆さんは世間の皆さんのお金で、ここまで育ったんですよ」。だからこの会社で働くなら、世間そのものに恩返しする気持ちで働いてほしい──そう伝えて採用しているのだといいます。

その会社は、離職率がほぼゼロなのだそうです。「そういう話をする経営者に、私は会ったことがなかった」と、松本さんは静かに力を込めます。信仰の教えとしてではなく、一人の経営者が自分の感性でそう考え、実際に経営している。そこに、深く感じ入ったといいます。

純粋で素直な人が、残っていく

松本さんが会長という役を引き受けたとき、生活は一変しました。会長の期間は、何をおいても会長職が第一優先になる。「自分のキャパを、もう超えちゃうんです」と苦笑します。三役や専任幹事を担った約七年間は、倫理を最優先に走り続けた日々でした。

けれど、追い込まれたからこそ見えたものがあります。松本さんは、一番向き合いにくかった相手──夫と、正面から向き合うことになりました。夫婦や親子は、すべての土台であり、根っこ。そこが変わらなければ、途中をいくら整えても何も変わらない。女性である自分だからこそ、夫婦や家庭のことを語ろうと、松本さんは最も難しいテーマに挑みました。

だからこそ、松本さんの語る「幸せ」には実感がこもっています。いろいろなものを買えるお金があっても、それだけでは虚しい。当たり前にご飯が食べられること、心配してくれる家族がいること。息子たちと囲む普通の食卓が、たまらなく嬉しいのだと、目を細めます。

こうした思いを、松本さんは今、若い世代にこそ届けたいと考えています。新しい技術を軽やかに使いこなす一方で、経験がない分、何をしていいか分からず不安を抱える人も多い。「そういう人たちに、自分でも大丈夫なんだと知ってほしい」。

倫理は、一人ひとりが自分の足で立てることを教えてくれる場所だと、松本さんは言います。依存ではなく、助け合い。干渉せず、見守り合う。七年間、内側から見てきて感じるのは、湯島に残っていくのは純粋で素直な人が多いということ。目立たず、ゆっくりかもしれません。それでも、この場所が好きだという人が、静かに増えていきます。

「福島に限らず、どこの単会でもいい。来てみて、ここに居場所がある、活躍できる場所があると思ってもらえたら」。そう信じて、松本さんは今日も、静かに一袋のお米を差し出しています。

取材を終えて。笑顔のあふれる、穏やかな対話の時間となりました
取材を終えて。笑顔のあふれる、穏やかな対話の時間となりました

プロフィール

松本富美子(まつもと ふみこ)

湯島倫理法人会 第10代会長(2023年9月〜2025年8月)/現・相談役

就職を経験せず、約四十年にわたってネットワークビジネス一筋で歩んできた実践者です。自分で決めて自分をマネジメントする働き方を貫き、現在は「ことほのわ」の屋号で、自然農法のお米などを扱う新しい事業に取り組んでいます。五十嵐相談役の誘いをきっかけに、当初は”応援のお付き合い”のつもりで湯島倫理法人会へ入会。以来十一年、三役として約七年を歩み、2023年9月から2年間、第10代会長として夫婦・親子・家庭というテーマを一貫して掲げました。「純粋で素直な人が残っていく」湯島の魅力を誰よりも語り、いま相談役として、若い世代がここに居場所を見つけることを願っています。

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