「入るなら、東京で一番会員の少ないところに入ろう。そう決めていたんです」──。

そう振り返るのは、湯島倫理法人会の第7代会長を務めた五十嵐由人さん。今は相談役として、後進を静かに見守る存在です。当時、会員はわずか四十人ほど。参加者が三人しかいない朝もあったといいます。その最小の会を、五十嵐さんはあえて選びました。そこから会員百二十七名という過去最多へ──湯島が大きく動いた三年間を、本人の言葉で辿ります。

両の拳を握り、熱を込めて語る五十嵐由人さん(第7代会長・現相談役)
両の拳を握り、熱を込めて語る五十嵐由人さん(第7代会長・現相談役)

一番会員の少ない会に、入ろうと決めた

なぜ、あえて一番小さな会だったのか。そこには、五十嵐さんなりの覚悟がありました。

当時の単会は、今の「湯島」ではなく「文京区中央」という名前でした。会員はぎりぎり四十人。参加者が三人という朝も、めずらしくなかったといいます。

普通なら、勢いのある会に入りたくなるものかもしれません。けれど五十嵐さんは、逆でした。伸びしろしかない場所で、やるだけやってみたい。そんな思いが、静かに胸にあったようです。

狂ったように、やろうと思った

入ったその週から、五十嵐さんは動き出します。「やるなら、狂ったようにやろう」。そう決めていました。

一番乗りで会場に入り、トイレを掃除し、階段を磨く。会場は、日曜にそば打ち教室が開かれる部屋で、月曜の朝は床が粉だらけでした。それをきれいにし、椅子は本殿からリヤカーで運び、終わればまた戻す。毎週の、その繰り返しです。

その背中を見て、まわりも少しずつ本気になっていきました。入会二カ月目には副会長を引き受け、チラシ作りも集客も、自分の手でやり抜きます。毎週「百社を超える」という目標を掲げ、自分の人脈をすべて使いました。

足しても、引いてもダメ

がむしゃらに走る一方で、五十嵐さんは自分のやり方に、どこか手応えを探してもいました。アファメーションなど、独自の工夫をあれこれ試していたのです。

あるとき、師と仰ぐ人を講話に招き、自分のやり方を見てもらおうとします。ところが、返ってきたのは厳しい一言でした。「こんなのはダメだ」。倫理は、足してもダメ。引いてもダメ。そのままやりなさい、と。

大きな衝撃を受けたと、五十嵐さんは明かします。けれど、すぐにこうも思ったそうです。人様の教えを学びに来ておきながら、自分のやり方を通そうとするのは筋が違う、と。その日から、余計な工夫をやめ、倫理一本に絞る覚悟を決めました。

言わずに、形に入る

会長に就いたのは、入会して一年七カ月ほどが経ったころでした。就任にあたり、五十嵐さんが三年間、言い続けたことが三つあります。

一つ、理屈やしきたりをあれこれ言わずに、まず形に入ること。二つ、本気であること。三つ、心を込めること。この三つを、とにかく徹底しました。

もう一つ、どうしても実現したかったことがあります。会の名前を変えることでした。「文京区中央」では、地域の外に伝わりにくい。せっかく湯島天神のそばで開いているのだからと願い出て、単会は「湯島」へと改まりました。丸山敏雄先生が大切にした短歌にちなむ「月並短歌会」も、会員百社の達成を機に立ち上げています。

外の空気を、入れたかった

会員を増やすために、五十嵐さんが選んだのは「外の空気を入れる」ことでした。まだ整いきっていない会だからこそ、まず知ってもらうことが先だと考えたのです。

そこで、著名なスポーツ選手や経営者、弁護士や医師といった多彩な顔ぶれを、講話に招いたり、会に迎え入れたりと、次々に巻き込んでいきます。倫理を、そして湯島を、まずは世の中に知ってもらう。そのための、思い切った一手でした。

一方で、基礎が固まらないうちの急拡大には、痛みも伴いました。二十人入っては二十人が辞めるほど、出入りは激しかったといいます。だからこそ五十嵐さん自身も必死でした。先生の全集を、それこそ狂ったように読みふけります。講話の数は、多い月で十六回。「自分の言葉より、倫理の神髄を話そう」と、学びながら語り続けました。その三年で、会員は最も多いときで百二十七名に達しています。

倫理法人会の旗を背に。会長時代は、多い月で十六回もの講話に立った
倫理法人会の旗を背に。会長時代は、多い月で十六回もの講話に立った

まず、会を増やす

「とにかく今は、会を増やすこと」。その一点に集中したぶん、五十嵐さんは批判も受けました。会費の滞納をほとんど気にしなかったからです。

滞納者が三十人に及ぶことも、平気であったといいます。数字の面では、しばしば注意も受けました。それでも当時は、まず人を、まず会を、という思いが先に立っていました。

その揺れを、静かに正してくれたのが、のちに第9代会長を務めた今井良明さんでした。「今井さんが、整えてくれた」と、五十嵐さんは振り返ります。今井さんも就任一年目は苦労の連続で、その必死な姿に、五十嵐さんは何度も胸を熱くしたそうです。増やす人がいて、整える人がいる。そうしてバトンはつながっていきました。

相談役は、陰の人でいい

会長を退いたいま、五十嵐さんは相談役という立場をこう語ります。「ふだんは、陰の人でいい」。見えないところで支え、いざというときにだけ、言うべきことを言う。それが相談役だという考えです。

相談役がいる会は、どこか安定している。逆に、その存在がない新しい単会は、ときに「サークルのようになってしまう」とも聞くといいます。唯一無二の親や先祖を大切にするように、その存在を敬う風土こそが、会を根から支えるのだと五十嵐さんは考えています。

自身にとっての原点は、あくまで湯島です。「湯島がよくなければ、ほかがよくても意味がない」。人生はすべて、自分がどう在るかの証明だ──そんな覚悟をのぞかせながら、二十周年もまた百社で迎えてほしいと願います。

そして、いまの会をこう見つめます。「一年目からここまでまとめたのは、本当にすごいこと」。倫理を徹底的に、しかも楽しく学べる風土を。次の世代への期待を込めて、五十嵐さんは今日も、静かに湯島を見守っています。

「ようこそ!湯島へ」。自ら名づけた湯島への愛着は、今も変わらない
「ようこそ!湯島へ」。自ら名づけた湯島への愛着は、今も変わらない

プロフィール

五十嵐由人(いがらし よしと)

湯島倫理法人会 第7代会長(2015年9月〜2018年8月)/現・相談役

東京都内で最も会員の少なかった単会に、あえて身を投じた実践者です。入会二カ月目に副会長、一年七カ月ほどで会長に就任。「言わずに形に入る・本気・心を込める」を掲げ、単会名を「文京区中央」から「湯島」へと改め、月並短歌会も立ち上げました。多彩な人材を巻き込み、外へと開いた運営で会員数を過去最多の百二十七名まで伸ばし、湯島が大きく飛躍する礎を築きました。現在は相談役として、後進を静かに支えています。

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