夜中の3時までコンビニで働き、わずかな仮眠のつもりが寝過ごしてしまう。「会長挨拶、やばい」。慌てて会場に駆け込むと、副会長の長谷さんが代行の挨拶を準備して、静かに待っていました──。
第5代会長を務めた小原健志氏が、湯島倫理法人会を率いたのは2年間。当時の会の名称は「文京区中央倫理法人会」でした。
湯島倫理法人会は、経営者や働く人が早朝に集まり、よりよい生き方・働き方を学び合う会です。その中心にあるのが、毎週ひらかれる早朝の勉強会「モーニングセミナー」。小原氏が会を率いた2年間には、大相撲の関取を招いたにぎやかな朝もあれば、たった一言の助言で人生が変わった夜もありました。その日々を、ご本人にゆっくり振り返っていただきます。

「読むに読めない」ところから始まった
小原氏が、湯島倫理法人会の前身である後楽園倫理法人会に入会したのは2007年のことでした。きちんと整った今の姿とは少し違い、当時の朝には、もっと荒削りな熱気があったといいます。
その熱気を象徴していたのが、「輪読(りんどく)」でした。倫理法人会の学びがまとめられている万人幸福の栞を、参加者が順番に声に出して読んでいく時間のことです。小原氏は、ここで思わぬ壁にぶつかります。「入会してから、人前で読めるようになるまで、半年もかかったんですよ」。そう振り返って、少し笑います。文章を声に出して読む。ただそれだけのことが、当時はなかなかできなかったのです。
それでも、会には人を巻き込む勢いがありました。「『一回ごとに読んでください』という、大合唱状態だったんです」。半ば強制のようでいて、このやり方が、新しく入った人をぐんぐん育てていきました。
「あのやり方なら、新人もきちんと読めるんですよ」。どこを読もうか迷っているうちに出番が終わる、ということがありません。声を出さざるを得ない場だからこそ、人は自然と前に出られるようになっていったのでしょう。
親の喜ぶことを、すぐしなさい
副会長、専任幹事(会の運営を担う役)と役を重ね、小原氏はやがて会長として会と向き合います。その中で、誰よりもこだわったことがありました。倫理指導です。倫理指導とは、抱えている悩みを経験豊富な指導者に相談し、生き方や日々の実践のヒントを授かる、個別の相談の場をいいます。
「幹部研修(会の学びの研修)の直前に5人、翌朝のモーニングセミナーの直後に5人。合わせて10人に倫理指導を受けてもらう。それが、私のこだわりでした」。受付に申込みの枠を並べておくと、少しずつ埋まりはじめます。すると、やがて「早く入れなくては」という空気が生まれるのです。半分は仕掛けのようでいて、その奥には切実な思いがありました。
なぜ、そこまで倫理指導を勧めたのか。理由は、小原氏自身の体験にあります。
「自分が倫理指導に、助けられたんです」。経済的に追い込まれていた時期に受けた指導は、こういうものでした。「親の喜ぶことを、すぐしなさい」。保険のセールスをしていた小原氏には、それが仕事にどうつながるのか、まるで見当がつきません。それでも、あれこれ言わずにやってみるのが倫理指導だといいます。
両親は、すでに別々に暮らしていました。父は埼玉県草加市、母は千葉県松戸市。小原氏はそれぞれを訪ね、何をしてほしいかを尋ねます。返ってきたのは、二人とも同じ「仕送りしてほしい」という言葉でした。自分が苦しいさなかでしたが、小原氏は仕送りを始めます。
すると、不思議なことが起こりはじめました。「逆に、どんどんいいことが起き始めて。経済的なピンチから、すぐに抜け出せたんです」。仕送りは、最初が月5万円。翌月は5万1千円、その次は5万2千円と、毎月千円ずつ増やしていきました。大病をしていた両親も、それに応えるように、みるみる元気を取り戻していったといいます。
この出来事を、小原氏は大きなつながりの中で受け止めています。「親が喜ぶと、そのまた上にいる先祖が、応援してくれる気がするんです」。10代さかのぼれば千人、20代さかのぼれば100万人。「その100万人から見れば、自分は人気のチャンネルのようなものかな、と」。目には見えない応援団が、後ろについている──。その感覚を伝えたい。その思いが、10人の枠を埋めようとする情熱の源にありました。

だから、全部自分でやる
会長時代の小原氏には、はっきりとした特徴がありました。何でも、自分でやる。そういう人でした。
「今週はこの先生、来週はこの先生と、講師は全部自分で選んでいましたね」。経営者が会長を務めるのと、個人事業主が、一人のセールスマンが会長を務めるのとでは、進め方の色合いが違うのかもしれません。「だから、俺が全部やる。そんな感じでしたね」。小原氏は、少し照れたように笑います。
その姿勢は、講師選びだけにとどまりません。冬の朝、受付に立つ人が寒そうにしている。誰かに頼むのではなく、近くの秋葉原まで足を運び、足元用のストーブを2つ買って届けました。「受付の人がすごく喜んでくれて。いいことをしたな、と思いましたね」。当たり前といえば、当たり前のこと。それでも、その当たり前を自分の手でやるところに、小原氏らしさがにじみます。
イベントにも、同じ熱が注がれました。当時人気だったボクシングの亀田浩樹氏、さらには横綱・白鵬関まで。前会長から引き継いだ縁もあり、関取を招いた朝の会は満員になります。椅子席だけで100名を超え、「足を畳まないと座れないほどの、ぎゅうぎゅう詰めでした」。格式のある記念式典と、より気軽に参加できる朝の会とを交互に開きながら、小原氏は会へ人を呼び込んでいきました。
そして、冒頭のあの場面です。経済の回復を待つあいだ、小原氏は夜のコンビニで働いていました。両国のセブンイレブンで、深夜3時まで。仮眠のつもりが寝過ごし、「会長挨拶、やばい」と飛び起きる朝もありました。会場では、副会長の長谷さんが代行の挨拶を待ち構えています。小原氏が滑り込みで「長谷さん、間に合いましたよ」と肩を叩くと、長谷さんは少し寂しそうに席へ戻っていったそうです。
「あれは、せっかくの挨拶の出番だったんでしょうね」。小原氏は、懐かしそうに笑います。当時から会を支えてくれた長谷さんは、今も変わらず会を支えています。必死だった日々の隣には、いつも誰かがいてくれました。
役が、人を作る
会長を退いたあとも、小原氏が欠かさず続けていることがあります。一人朝礼です。毎朝、たった一人で前向きな言葉を声に出し、一日を始める習慣のことです。
きっかけは、東北の三田望先生から受けた倫理指導でした。「一日一回、同じ時刻に」。倫理の教えにも記されているこの言葉を実践しようと、小原氏は一人朝礼を始めます。「もう5,600回ほどになりました。10数年、ずっと続けています」。寝坊した日でも、自転車に乗りながらでもできる。一人だからこそ、いつでも、どこでもできるのです。父方の小原家と、母方の飯島家。両親を連れてお墓の前に立ち、これからも見守ってくださいと手を合わせる日もあるといいます。
そんな小原氏ですが、もともとは人前に立つのが苦手なタイプだと打ち明けます。「『発表したい人は』と聞かれても、絶対に手を挙げない。そういう人間なんですよ」。それでも会長を引き受けたのは、第4代会長・石河さんの存在があったからでした。
会員数がなかなか増えず、苦労を重ねていた石河さん。その姿を見て、小原氏は「今度ばかりは、すぐに引き受けよう」と心を決めていたといいます。「そう思っていたら、本当に数日後でした。基礎講座(倫理の基本を学ぶ講座)のあと、歩いているところで『次の会長をお願いしたい』と」。人とのつながりをあまり考えてこなかった自分が、誰かを助けたい一心で、苦手なはずの役を引き受ける。その一歩が、小原氏自身を変えていきました。
「役が、人を作るんですよね」。役を通して、人は成長していく。だからこそ、と小原氏は会の未来を見つめます。「次の会長、その次の会長、と決まっていくと、会はとても強くなると思うんです」。「次の会長をお願いね」と声をかけられたときに、「いいですよ」と受け取る。まだ誰も口にしていなくても、次の人の姿が自然と思い浮かぶ。それは、とても大事なことなのだと、小原氏は静かに力を込めました。
目に見えない応援団に背中を押されながら、自分の足で2年間を走り抜けた人の言葉です。だからこそ、その「いいですよ」のひと言には、軽さではなく、確かな重みがあるのではないでしょうか。

プロフィール
小原 健志(こはら けんじ)
湯島倫理法人会 第5代会長(平成24〜25年度/2012〜2013年)
2007年、当時の後楽園倫理法人会(現在の湯島倫理法人会の前身)に入会。まもなく副会長を務め、2011年には専任幹事として、震災の翌朝の土曜モーニングセミナーを開催。会長在任中は、倫理指導を勧める仕組みづくりや、関取を招いた大型イベントに力を注ぎ、会の名称が「後楽園倫理法人会」から「文京区中央倫理法人会」へと変わる時期を担う。退任後も、一人朝礼を10数年・約5,600回続けるなど、日々の実践を重ねている。
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