「自分の気持ちを出すのは、簡単です。でも、まずは相手の気持ちを考えて、自分の立場をつくる──」。

穏やかな口調でそう語る長谷和男氏は、湯島倫理法人会の相談役として、創設当初からこの会を支えてきた功労者です。82歳になった今も、千葉・松戸の自宅から駅まで50分を歩き、朝の例会に誰よりも早く顔を出します。西武百貨店のレストランで接客業一筋に培った「相手を先に」という哲学は、倫理の学びとともに、長谷氏の行動そのものになっています。

「ただ、居心地がすごく良かった」

それは「面白いところがあるから、一緒に行かないか」という一言から始まりました。2008年5月、長谷氏は当時勤務していた東京・文京区のオフィスで、同僚にそう声をかけられました。連れて行かれた場所は後楽園で、話を聞きに行くだけのつもりでした。

ところが、その日のうちに入会していました。

「あの日、話を聞いていたら、これが今の自分に必要だと直感的に思ったんですね」と、目を細めながら振り返ります。「何より、とにかく居心地がすごくよかった」

長谷氏はそれまで、西武百貨店の池袋店でレストラン部門のチーフを長年務めていました。お客様との対話、スタッフとの関係、場の空気をつくること──。接客業とは、人と人のあいだに立ち続ける仕事です。その経験が積み重なるほどに、人とのつながりを大切にすることへの確信が深まっていました。倫理の学びと、自分がずっと大事にしてきたものが、重なって見えたのです。即決の理由は、そこにありました。

インタビュー当日、長谷氏は分厚いファイルを持参しました。自分でパソコンを使って作ったという手製の年表。2008年の入会から現在まで、湯島倫理法人会の歴史と自分の歩みが、1枚1枚のページに刻まれています。「これ作ってよかった」とつぶやきながらページをめくるその横顔に、20年近くを会に捧げてきた人間の静かな誇りが滲んでいました。

入会から半年後の2009年、後楽園の例会を母体として湯島倫理法人会が発足します。発足式は湯島天満宮そばの会館で執り行われました。長谷氏はその場に立ち会った一人であり、以来、副会長、監査、そして2015年からは専任幹事として、会の礎を支え続けることになります。

相手の気持ちを、先に考える

「私がずっとやってきた仕事には、一つの軸があるんです。相手がある仕事。そのつながりを大事にすること」。即座に、そう言い切りました。

長谷氏の原点は、西武百貨店のレストランにあります。ある日、部下のスタッフが料理の皿をひっくり返してしまいました。そのとき長谷氏はためらわずに、その場に膝をついて、お客様に頭を下げました。スタッフと一緒に、です。「上がそうすれば、下もついてくる。それだけのことですよ」と、当時を振り返りながら静かに話します。

倫理を学んで何が変わったかと問われると、しばらく考えてから明かしました。「がらっと変わったというよりも、自分がやってきたことが、倫理の言葉で整理されていったような感じ。ビターな心、という言葉が一番しっくりきました」

ビターな心──。自分の感情や主張を前に出すのではなく、まず相手の立場に立つ。誰もが「自分の気持ちを出したい」という衝動を持っています。でも、そこをぐっとこらえて、先に相手を見る。それが「ビター」という言葉に込められた意味です。長谷氏はこの姿勢を、ことばで教わったのではなく、接客の現場で身につけてきました。倫理に出会ったことで、それが改めて言語化されました。

「自分の気持ちを出すのは簡単です。でも、それより先に相手の気持ちを考えて、自分の立場をつくる。それがすごく大事なんです」と、力を込めて語りました。20年近く倫理に関わり続けてきた末に出たその言葉は、すっと腑に落ちる重さを持っていました。

長谷和男氏 インタビューにて

話題になることを、作ろうと思った

「つながりがあるなら、それを使わなければもったいない。話題になることをやろうと、いつも考えていました」。目を細めて、そう語りました。

湯島天満宮でのイベントに、白鵬関を招いたことがあります。当時の会員だった石河さんが、モンゴルとのつながりを持っていました。その縁を頼りに打診し、白鵬関に湯島天満宮の舞台で話していただく機会が実現しました。「石河さんがいなければできなかった。あのつながりのおかげですよ」と、嬉しそうに言います。人の縁が、会の歴史に刻まれた瞬間でした。

会は発足から名前を変えながら歩んできました。後楽園での例会→湯島準倫理法人会→文京中央倫理法人会→湯島倫理法人会と、会の形を変えながら現在に至ります。その名前の変遷の一つひとつに、長谷氏は立ち会っています。「湯島という名前はとてもいい。でも、湯島と名乗るからには、地元の方が会員にいないといけない。それが長い間の課題でしたね」と、少し遠くを見るように話しました。

倫理法人会の朝の例会に、初めてゲスト参加する人がいます。その人が「面白い」と感じれば、次の週も来ます。来るたびに、新しい何かが生まれます。そのためには、会が話題を持っていることが欠かせません。「あそこに行けばいろんなことができる、という特徴を作っていかないといけない」と続けました。長谷氏が白鵬関を招いたのも、そのための行動でした。

役割を渡せば、人は輝く

20年近い歳月が流れました。長谷氏が知っていた顔ぶれの多くは、すでに会を離れました。「知っている人がどんどんいなくなってきた」と正直に言いながらも、「若い人がいるから、それはそれでいい」と続けます。声のトーンは変わらず、穏やかでした。

「一人一人が、自分の役割をちゃんと持てるように。細かく細かく分けて渡していくことが大事だと思うんです」。少し前のめりになりながら、長谷氏は語りました。「自分は何をすればいいかわからない、ではなくて、自分の目的はこれだと言えるような人が増えれば、会はもっとよくなる。そういう人たちをたくさん作っていかないといけないんじゃないかと思っています」

役割がある人は、来る理由ができます。来る理由のある人は、育ちます。育った人が、また誰かを育てます。そのシンプルな循環への確信が、言葉の端々に滲んでいました。

82歳になった今も、千葉・松戸から駅まで50分を歩いて、朝の例会にやってきます。腰が痛くなることもあります。「台所に立っていると、しばらくしたら座って、また立って、ということをやっていますよ」と笑います。それでも、足を止めることはありません。誰よりも早く会場に来て、玄関でメンバーを迎え入れます。それが、いつの間にか長谷氏の役割になっていました。

「一人でも喜んでもらえる人が増えれば、それでいい。そういう感じで、ずっとやってきました」。インタビューを締めくくるとき、穏やかにそう言いました。20年の重みが、その言葉にまっすぐ込められていました。

プロフィール

長谷 和男(はせ かずお)
湯島倫理法人会 相談役(副会長・監査・専任幹事を歴任)

西武百貨店池袋店にてレストラン部門のチーフとして長年勤務。接客業を通じて培った「相手の気持ちを先に考える」という姿勢は、倫理の学びとも深く共鳴し、長谷氏の行動の核心となっています。2008年5月17日、知人の誘いで後楽園の例会にゲスト参加し即日入会。2009年の湯島倫理法人会発足から運営に携わり、副会長・監査を経て、2015年5月からは専任幹事として会の運営を牽引しました。湯島天満宮でのイベントに白鵬関を招聘するなど、話題作りにも積極的に取り組みました。現在は相談役として、千葉・松戸から駅まで50分を歩いて例会に通い続けています。82歳。

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