創業103年目の朝、現場から電話が鳴りました。昨日入れた材料が、引き上げられています──。

2026年8月24日、第1125回の湯島倫理法人会 経営者モーニングセミナー。壇上に立ったのは、株式会社梶原工業所 取締役社長の梶原作造氏です。演題は「全てに感謝 〜倒産危機から学んだこと〜」。100年続いた会社が、なぜ足元から崩れかけたのでしょうか。

演題スライドを背に語りはじめる梶原作造氏と、聴き入る会場

100年目に、会社は他人の手に渡りました

株式会社梶原工業所は、山梨県富士河口湖町の総合建設請負業です。大正12年に製材所として始まり、今年で103年目、法人化して72期目。社員15名の工務店です。

梶原作造氏が社長に就いたのは、およそ10年前。世襲ではなく、一般社員として入社し、現場監督として腕を磨いた技術者です。富士山の世界文化遺産登録で地元が賑わうなか、就任してすぐ過去最高の売上や利益を記録しました。

けれど、100年の会社には100年分の重さもありました。先人たちが意識せず生んだ負債が、静かに膨らんでいたのです。工事の契約を取っては短期の資金を借り、現場を回す。綱渡りが常態でした。

そこへコロナ禍が重なります。毎月1億から2億円の支払いがある会社です。ブレーキがかかれば、資金は一気に底をつきます。

追い詰められた梶原作造氏は、当時の会長に不満をぶつけてしまいました。あのとき自分は正しさを振りかざしていた、と氏は振り返ります。正しさというのは、人間関係を壊すのです。

そして下されたのが、M&Aという決断でした。全株を譲渡し、会社は他人の手に渡ります。仲介した専門家は、これで安心ですよと胸を張りました。

締結から10ヶ月後。譲渡先が、支払い不能に陥りました。

3代目・4代目の古写真と昭和30年頃の河口湖駅周辺を指し示す梶原作造氏

なぜ、20の現場は一つも止まらなかったのか

情報は一気に走ります。材料屋のあいだで電話が回り、現場からは、昨日入れた材料が引き上げられている、と連絡が入りました。先代が残した有価証券まで吸い上げられていく。血の気が引いたそうです。

梶原作造氏は自ら取引先へ説明に回りました。着工金をお預かりしていたお客様には事情を話し、返金を申し出ます。すると、これはここを乗り越えるために使ってくださいと言う方がいたのです。

ある日、別荘地の屋根の葺き替え現場が気にかかりました。職人さんは来てくれているだろうか。足を運ぶと、屋根はきれいに仕上がっていました。

車の中で泣きました。

20ほどあった現場は、一つも滞ることなく完成します。自分の力ではありません。先代たちが長い時間をかけて築いた信用と信頼のなかに、自分は生かされている。ようやく、そう気づいたのです。

誰かに支えられていたと気づくのは、たいてい、支えを失いかけたときなのかもしれません。

「前オーナーに謝ってください」と言われて

会社は投資家に救われ、いまがあります。同じ頃、梶原作造氏は富士吉田市倫理法人会の会長を引き受けました。どんな心構えで臨めばよいか相談した法人アドバイザーの答えは、意外なものでした。「前オーナーに謝ってください」。

以来、毎朝の会社のトイレ掃除に、その実践を重ねています。今まですみませんでした、と声に出す。掃除そのものが心のリセットになったそうです。気持ちが変われば、見える世界はこんなにも変わるのか。残って踏ん張る社員の顔が、目に入りました。

富士高原研修所のセミナーには、最終日に手紙を書く実践があります。3回目の受講で、梶原作造氏は前のオーナーへ宛てて書きました。同室の人に読んでもらうと、返ってきた言葉は「まだ攻め心が残っているよ」。書き直しても、まだ残っていたのか。投函しても、返事はありませんでした。

4回目は今年の冬です。今回も梶原家の先祖へ、いま働けていることへの感謝を迷いなく綴りました。返事が届いたのは、そのあとです。オーナー家の方から、つらい思いをさせてごめんなさい、皆さんのおかげで私たちは生きています、と。

大きく手を広げ、会場に語りかける梶原作造氏

会社を明るくするのが、社長の仕事です

再建に向けて、社員と同じ方向を向きたい。梶原作造氏は経営理念をつくり、朝礼での唱和を始めました。活力朝礼にレベルアップするチャンスと思いました。二度目の倫理指導で助言されたのは、右腕を探して巻き込みなさい。若手を誘って飲み会を開きます。

ところが、噴き出したのは不満でした。職場の教養の輪読は一年で終わりにするのではないですか。この年長者たちが今さら読んで、何が変わるんですか。ショックと怒りが交互に押し寄せたそうです。自分は、皆のためにこんなに頑張っているのに……。また、攻め心が……。

週末をはさんで頭が冷えました。怒りと正しさは、マイナスの経済効果しか生みません。月曜日、梶原作造氏は社員に伝えます。わかっていることと、できることは別です。凡事徹底が自然にできる会社を目指したいから続けてほしい、と。輪読は、いまも続いています。

よくよく指導書を読み返してみると、そこにあったのは、会社を明るくすることこそ社長の仕事、という一文でした。理念を掲げながら押しつけていた自分に、気づいた瞬間です。

その先のヒントは、昨年入塾した東京都倫理経営実践塾にありました。中小企業の強みは、一人ひとりと向き合えること。そう気づいて面談を始めると、20歳の新入社員が語る夢は、独立でも高級車でもありませんでした。幸せな家庭を築きたい。人の役に立ちたい。時代は変わったのだと、梶原作造氏は受け止めています。

まとめ──共に学び、実践する一歩を

講話の締めくくりに、梶原作造氏はこの夏の甲子園の選手宣誓を引きました。困難は下を向く要因ではなく、前を向き、仲間とともに支え合い、道を切り開く大きな原動力である──。株式会社梶原工業所 取締役社長として、湯島倫理法人会の一員として、氏がたどり着いた場所が、この言葉に重なります。

全てに感謝。その裏側には、103年分の信用と、返事の来なかった手紙と、車のなかで流した涙がありました。まずは足元の当たり前に、一言添えることから始めたいものです。

湯島倫理法人会のモーニングセミナーは、毎週月曜の朝7時から全国家電会館で開かれます。ゲスト参加も歓迎です。一週間の始まりに、こうした学びを受け取ってみませんか。

講師プロフィール

梶原 作造(かじわら さくぞう)
株式会社梶原工業所 取締役社長/富士吉田市倫理法人会 会長

昭和42年、山梨県生まれ。平成元年に工学院大学建築学科を卒業し、同年、株式会社梶原工業所に一般社員として入社。現場監督として経験を積み、約10年前に取締役社長へ就任した。一級建築士、一級建築施工管理技士。同社は大正12年創業、103年目・法人化72期目を迎える総合建設請負業で、公共施設からホテル、古民家再生、デザイナー住宅まで幅広く手がける。「100年企業として地域に必要とされる会社」を掲げ、社員とともに再建の道を歩む。富士吉田市倫理法人会の会長として、開設30周年・設立20周年の記念事業をやり遂げた。

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